「世を救う救い主。」これはいったい誰のことなのでしょうか?聖書は二つの部分に分かれていますが、前の部分を旧約聖書、後ろの部分を新約聖書といいます。上の言葉と聖書が二つの部分に分けられていることは関係があります。なぜでしょうか?前の部分はその「救い主」の誕生の前についてかかれています。そこにおいて「救い主」について預言がされています。ここで注意していただきたいのですが、「預言」は「予言」とは違うということです。「予言」はある未来の事柄を予知して語ることですが、「預言」とは神から授かった言葉です。そこで、「救い主の預言」について考えていただきたいのですが、「預言」といっているので「救い主」は神から与えられたものなのです。旧約聖書(聖書の前の部分)ではこのことについて数多くかかれています。そして新約聖書(聖書の後の部分)ではこの救い主についてどのようにして誕生し、生涯を送り、そしてその後どうなったか(「どうなるか」も含まれています)について書かれています。
では、「救い主の誕生」について話していきたいと思いますが、今回は「バプテスマのヨハネ」といわれた人物の誕生について話していきたいと思います。昔、ザカリヤという祭司と、その妻のエリサベツは、神様からの言葉を学び救い主が早くくるようにと祈っていました。ある日、ザカリヤがエルサレムにある神殿の聖所で働いていたとき、突然、天使が現れ、「ザカリヤよ、もうすぐ、エリサベツは男の子を授かるであろう。その子にヨハネという名前をつけなさい。ヨハネは大きくなって人々に救い主を迎える用意をさせる人になるであろう。」といいました。しかし、ザカリヤは、自分も妻も年をとりすぎているので今から子を授かることがないと思って、天使の言葉を信じることができませんでした。そのために、ザカリヤは、子供が生まれるまで言葉を話すことができなくなりました。やがて、天使の言葉どおりエリサベツに男の子が生まれました。親戚の人々は、その子に父親と同じ「ザカリヤ」と名付けようとしましたが、エリサベツとザカリヤは天使の言葉を覚えていて、「ヨハネ」とつけなければならないといいました。ザカリヤが紙に、「その名はヨハネ」と書いたとき、ザカリヤは元のようにしゃべることができるようになりました。 神様はザカリヤとエリサベツに、ヨハネの育て方について詳しくお教えになりました。そして、ヨハネは大きくなり、静かな荒野に住むようになり神様と親しく交わるようになりました。こうして、ヨハネは、神様が望んでおられたように人々に救い主を迎える用意をさせる人になっていきました。このヨハネは、後に多くの人々にバプテスマをしてあげたので「バプテスマのヨハネ」と呼ばれるようになりました。バプテスマについては別の機会に話したいと思います。このヨハネは「救い主」を世に迎えるにあたり重要な働きをしました。長い間、イスラエルは神様の教えから遠ざかっていたのでこのヨハネの働きは大変に意義のあることでした。次回は「救い主の誕生」について話したいと思います。
前回は「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道をまっすぐにせよ。』」(イザヤ40:3)といわれるもの、つまりバプテスマのヨハネについて話しました。ヨハネは、来るべき『救い主』のために道を備えましたが、今回はその『救い主』の誕生について話したいと思います。この『救い主』とは誰のことでしょうか。もちろん、イエス・キリストのことです。イエス様はこの世をお救いになるために神性を持って人としてこの世にお生まれになりました。神性を持ってというところは理解するのに難しいところですが、イエス様は神であり人であったということです。イエス様は天使のお告げで『イスラエルの王、ダビデ』の血筋に生まれました。父ヨセフと母マリヤはその頃行われていた人口調査のために『ベツレヘム』という町に来ていました。そのとき母マリヤは身ごもり、馬小屋にて『イエス』は生まれました。この世をお救いになるお方が、馬小屋にてお生まれになるということが、本当の意味での『救い主』といえると思います。それは神様の目的、そしてイエス様のこの世での活動からわかりますが、それは回が進むにつれてわかることになると思います。次回は、この『イエス様』がお生まれになったときに、そのことをお祝いした人たちがいます。つまり、イエス様の誕生を知っていてその馬小屋に駆けつけた方がいます。その方々について話したいと思います。
空にはたくさんの星が瞬いていました。ベツレヘムに近い、丘の上では羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。羊飼いたちは焚き火をしながら約束の救い主について話し合っていました。するとそのとき、突然あたりが昼間のように明るくなって、羊飼い達の目の前に一人の天使が現れました。「恐れなくてもよい。私はよい知らせを伝えに来た。今日ベツレヘムの町に、救い主がお生まれになった。」と、天使は言いました。羊飼い達は、急に天使が現れたこと、そして救い主の誕生のことを知らされて驚きました。長い間待ち望んでいた救い主が、今日お生まれになるとは――。すると、いつのまにか天使は消えていなくなりました。あまりの出来事に驚いていた羊飼いたちですが、どうしても救い主にお会いしたくなり、「さあ、ベツレヘムへ行って、救い主にお会いしよう。」羊飼い達は朝まで待っていることができず、すぐに救い主を探しに出かけました。そしてまもなく、飼い葉桶の中に眠っているイエス様を探し当てました。(ルカ2:8〜20) かつてのイスラエルの王ダビデは、羊飼いをしていました。その子孫がこのとき羊飼いをしていたと考えられます。「ダビデの末から救い主が生まれる」といわれていたので、羊飼い達は、こうして救い主を熱心に祈り求めていたゆえに、天使によってその誕生が伝えれらたと思われます。次回もまた、救い主の誕生を見たもう一組の人々について話したいと思います。
救い主の誕生を見たというもう一組の人々について話したいと思います。俗に『東方の博士たち』といわれる人々は、ある星の動きに導かれ、救い主の誕生を祝うためにエルサレムにやってまいりました。しかし、どこで救い主が生まれるのかはわかりませんでした。そこで、その頃イスラエルの王だったヘロデのところに行き、そのことについて尋ねることにしました。ヘロデはそのようなことはまったく知らず、『博士たち』の質問には答えられませんでした。それどころか、『博士たち』が帰った後にエルサレム中の赤ん坊を殺すという命令を出しました。それは、救い主が生まれたら、自分の王の座が危ないと思ったからです。しかし、『博士たち』はその後天使に会い、イエス様の生まれた馬小屋に辿り着くことができました。そして、かねてから準備したあった贈り物を渡しました。『黄金』、『乳香』、『没薬』。よくここで問題になるのが『東方の博士たち』のことについてです。ここでは『博士たち』といいましたが、『賢者』ということもあれば、『王』ということもあります。さらに、人数については一切記述がないのでわかりませんが、なぜか昔から『三人』ということになっています。三人といわれる理由の一つとして、上で書かれた贈り物の数が考えられます。贈り物が三つなので『三人』という説があります。しかし、これらのことはあまり本質的ではありません。大切なことは、救い主の誕生を知る由もなかった『東方の博士たち』が、星に導かれ救い主の誕生を祝いに行ったということです。前回は『羊飼いたち』、今回は『博士たち』と高い階層に属する人々と低い階層に属する人々が供に祝った、このことは救い主が誰のためでもなくすべての人々のために生まれたということを表しています。
さて、羊飼い、博士たちによって祝福のされた生まれたばかりの赤子は、その後どうなったのでしょうか。 ヘロデ王はその頃生まれた赤ん坊をすべて殺す命令を出しました。しかし、ヨセフとマリアは天使に導かれて、一時エジプトに逃れることにしました。そして、騒ぎが一段落した頃に、ナザレに移り住むようになりました。 また、道を聞いた博士たちは帰りはヘロデのところに寄らずに、違う道を通って帰っていきました。 これも天使の導きかと思われます。こうして『世を救う救い主』(イエス様のことです)は安全が守られました。イスラエルにシメオンという名の人がいました。この人は、信仰深い人で神に対して忠実であったため、イスラエルの救われる日まで死ぬことはないと聖霊によって伝えられていました。そのシメオンが宮(神殿)で働いていると、律法に定められていることを行うために入ってきたヨセフとマリア、そしてイエスを見て、その幼な子を抱き、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救いを見たのですから。この救いはあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」と言いました。(ルカ2:29〜32)これを聞いて、ヨセフとマリアは不思議に思いました。するとシメオンはその幼な子イエスについて祝福し、その幼な子について、これから起こること、そして行うことについて語りました。このように、神に忠実であり、その教えを守っていた人は『世を救う救い主』の誕生を知ることができましたが、当時のイスラエルの人々は新約聖書のその後の記述を読んでいただければわかりますが、『世を救う救い主』の存在の意味がわかりませんでした。
つづく...